episode 6. パニック障害の症状(2)
episode 5.で書いたことは、始めの1年弱のこと。
24歳になる頃、晴れてる日は散歩に行ったり、コンビニまで行ってみたり、自分なりにリハビリしながらほんの少しずつ外が平気になっていった。
相変わらず通院と、効果があるのか分からない薬を飲み続けながら。
ここで、私は最初の荒療治を施した。
まだ「やっと外に出られるようになった」状態で、いつもふわふわ宙に浮いたような感覚なのに「仕事をしよう!」と思い立ってしまったのだ。
今考えるとバカだ。
ただその時は、父や母に生活費の面倒を見てもらうことが申し訳なくて、甘えれば良いのに甘えられなくて、私がちゃんとしなきゃ!という典型的な長女気質且つ真面目さがパニック障害の更に上を行ってしまった。
当時の私が胸を張って出来ること、肩書き、それは「フローリスト」「フラワーデザイナー」。
カッコよく言ってみたけど、要は花屋だ。
ただ生憎近くに花屋の求人は無かった。
だからとりあえずバイトをしようと、コールセンターでほぼフルタイムのバイトを始めた。
元々、体を動かすことも仕事をすることも大好きだった。勿論それは今も好きだ。
バイト先、街中までは地下鉄で3駅。
どうしたって地下鉄に乗らなきゃ通えない場所だ。
この時気付いていなかったこと…閉鎖空間が怖いということ。
地下鉄、乗ったら最後。次の駅まで降りられない。地下だから、降りても地上まで遠い。
コールセンター、何処もそうだろうが情報漏洩防止とかなんとかで携帯はじめ私物はほぼ持ち込めない、カードキーを何度もかざして何枚もの扉を通った先にあるブース。窓が無い閉鎖された空間。ここも、すぐには脱出不可能だ。
業務が始まってしまえば集中して仕事をするから、パニック発作なんて忘れてしまうような気になって「あ、もう大丈夫なんだな。」とか思ってた。
でも突然やって来た。
働き始めて1週間、出勤前のロッカールームで手足が震え始め息が出来ない、怖い。死ぬ。苦しい。誰か、助けて…
過呼吸が酷くなり、私は百貨店で働いていた時同様に失神した。
誰が発見してくれたのかは分からない。
救急車で掛かりつけの精神科に運ばれていた。
そしてそのまま、たった1週間のバイトは辞めることになった。
その後は、病院に通うためバス、時には地下鉄に乗らなければならなかった…でも、どんなに「乗るぞ!」と意気込んでみても、地下鉄のホームで倒れたり、バスの中で心拍数が上がってどうしようもなく死にそうになって、全く家とも病院とま離れた停留所で降りたり、乗り物というものを受け付けなくなってしまった。
何とも言えない気持ちだった。
どうしてこんなふうになるんだろう?
どうして私だけなったんだろう?
両親も妹も、友達もみんな元気なのに。
動けないことが悲しかった、悔しかった、とにかくストレスだった。
死にたいと思った。
そしてまた少し、自暴自棄になりつつ布団の中での生活が始まった。
続く。