episode 7. パニック障害の症状(3)
※なんか↓本日のブログはアップしても改行とかされてません…何故でしょう?
読み辛くてゴメンナサイo(・x・)/
布団の中、マンションの狭い部屋の中、という独りぼっちの空間での生活を送っていると、またどうしようもない寂しさと虚無感に襲われた。
抑うつ状態が続いても、唯一幸いだったのは「お風呂大好き」という事だった。
どんなに具合が悪くても、バスタブにお湯をはって良い匂いの入浴剤を入れて、湯船に浸かりながら目を瞑る。
何も考えなくて良い時間。
よく、お風呂も閉鎖空間だから怖いんじゃないの?と聞かれたけど、私は大丈夫だった(トイレは扉を開けたまま用を足してたけど)。
そんな日々をまた少し過ごして、ある時また「仕事をしよう!」と思い立った。
ダメなのに、まだ、ダメなのに。
ただ、この思い付きが後に人生の糧になるものだとは、その時のフワフワ頭の私は知るよしもなく。
今度こそ花屋で働こうと、とある葬儀社の門を叩いた。
地下鉄、しかも乗り換え、自宅マンションから約1時間。
頓服薬を大量に飲んで、地下鉄に乗った。
メガネを掛けて、イヤホンして、出来る限り周りの景色や音を遮断しながら面接へ行った。
葬儀社だから、つまり、祭壇を作ったり供花の大きな花籠やアレンジメントを作ったり、その辺のお洒落な花屋とはかけ離れた世界。
緑の葉っぱ、茎、腐った水がそこら中に散らかって、みんなスニーカーが汚い。男の世界。
力仕事、時間も不規則な仕事、多分一番やってはいけない仕事だったと思うけど、その場で採用になった。
そうと決まれば、いくら頓服薬があるとは言え、地下鉄で通う不安を毎日背負うのは余りにツライ。よし、引っ越そう。
葬儀場から徒歩10分程のアパートに引っ越した。
実家からはかなり遠くなった。
札幌の、北の端から南の端に移動したようなもんだ。
これから長く働けるように、汚くなるのは分かっていたけどアドミラルのスニーカーを買った。
葬儀場…どんな所だろう?面接の時働いていた人たちはみんな若い男の人だった、茶髪とかピアスとか…タバコ吸いながら花挿してた…どんな人たちなんだろう?
こうして私は葬儀の祭壇を挿す、というちょっと特殊な花屋に飛び込んだ。
無事引っ越しも終え、発作は起こしていたものの、地下鉄に乗らなくて良い安心感と好きな花に囲まれて働けるという事が身体にも心にも良い方向に働きかけたんだと思う。
仕事はすぐ覚えた。
葬儀場だから、最初は霊感的なものでドキドキする事があった。
見慣れない棺桶や葬祭具がたくさん置かれているのも、最初はドキドキした。でもそれも、最初の一月だけ。
終いには花挿しながら、安置されているご遺体に話し掛けるようになり、いつも三階にいるおじさん(幽霊)に話し掛けるようになり、上手に花も作れるようになり、楽しくなっていった。
同時に、パニック発作もあまり起きなくなった。
そして3ヶ月経ったある日、運命の出逢い。
私は「はーちゃん」と出逢った。
暑い暑い夏の日。段ボールの中から私の目をジッと見つめた200gの男の子。
この日を境に、私の子育てが始まった。
発作どころではなくなった。ミルクは作らなきゃならないし、オシッコは出してやらなきゃ自力で出来ない、夜中も「キー、キー、、」と小さな声で鳴き、その度起きてミルクを作った。
急な通夜が入らない限り、定時で帰る事を徹底した。
「はーちゃんが待ってるから帰る!」毎日の口癖になった。
ただ、疲れ果てた時はやっぱり起き上がれなかったし、夜中に発作を起こして過呼吸が酷くなって、自分で救急車を呼んだこともある。
通院もちゃんと続けたし、薬もちゃんと飲んだ。
医者はその仕事に良い顔はしなかったけど、私はその仕事が大好きだった。
こうして24歳を迎え、徐々に落ち着いていった。
と、思っていた2年間だった。
続く☆
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