episode 3. 精神科に初めて行った日
22歳の冬、実家を出た。
というか出ざるを得ない理由があった。
23歳、一人暮らしを始めて少し経った頃。
百貨店でアパレルの仕事をする傍ら、モデルやらイベント企画会社で通訳やら、いろんな事をしてかなりアクティブだった頃。
ある日アパレルの仕事中お腹が痛くなってトイレに駆け込んだ。
その時、胃が捻くれるように痙攣して身体が強張り息が出来なかった。死ぬんだな、と思った。
すぐに全身から血の気が引いて全身痙攣、トイレの床にぶっ倒れた。
医務室に運ばれたらしいけど、何も覚えていなくて、数時間失神していたらしい。
気付けば医務室には両親が来ていた。
手を握って名前を呼んでくれていた。
その日から、トイレに行く事が怖くなってご飯が食べられなくなって、眠れなくなって、外に出られなくなった。
勤めていた会社の上司には、翌日「迷惑を掛けてしまいました。申し訳ありません。ただ少しお休みを下さい。」と連絡をするも「具体的な病名は何?来れるでしょ?体調悪いとか分かんないんだけど…」と理解されず、冷たい言葉を吐かれ退職となった。
病名なんて私も分からないよ、突然倒れたんだから…
退職の手続きも、外に出られなくてとにかく恐怖でしかなくて、全て父が行ってくれた。
その後もいくつかの会社勤めと、同じ格好の退職を繰り返し、父には数回同じ事をして貰った。
お父さん、ごめんね。
今思うと、娘が働いていた会社に一人で行って頭を下げてくれた父は本当に優しくて、心から申し訳ないと思う。
父には、本当に感謝している。今も大好きだ。
そして私は太陽の光も、部屋の電気も、テレビの明かりさえも眩しくて怖かった。
ずっと布団に隠れていた。
時々水を飲むために起き上がり、当時飼っていた金魚をボーッと眺めた。
マンションのエレベーターにも乗れなかった。
数日後、自分でも何故そういう行動に出たかわからないけど、夜中に一人でワインをアホみたいに呑んで泥酔した状態で親友mammyに電話を掛けた。
スッピンにノーブラ、タンクトップにショーパンのみという酷い格好をしていた記憶がある。
mammyは飛んで来てくれて、私の母に連絡してくれた。
数日後、私は、母が掛かりつけの内科医に教えてもらったという都会から離れた精神科に連れていかれた。
そこから、精神科通院という人生の中の大切な歴史が始まる。
そして母の心配、心労が募り始める。
続く。