episode 14. 幼少期〜虐待 1〜
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以前このブログで「双極性障害に気付いた訳」は、自分で分からないなりにざっくり書いた。
今日はその根っこ、一番初めの原因について書く。
これも、証明するものは何もないので、思い当たる事をざっくり書く。
「虐待」。
ここ数年は虐待という言葉をニュースで頻繁に聞くようになった。
そんなニュースを見る度、聞く度、私は背筋がゾッとする。
多分、虐待に対する意識が他の人とちょっと違う。
遡ること29年。
4歳の時だった。
私は「虐待」を受けた。
親からではない。
二世帯住宅で同居していた祖母からだ。
私が4歳の時、5歳になる少し前、母のお腹には妹がいた。
切迫流産や妊娠中の体調不良で、母はよく産科へ通っていた。
天気の良い日、母の体調に少し余裕がある日は、母に付いて病院に行った。
でも、ほとんど家で留守番だった。
「もうすぐお姉ちゃんになるんだ」「お母さんを困らせないようにしなきゃ」「ちゃんとお留守番しなきゃ」。
きっと私はそんなおチビの頃から真面目なイイ子、しっかりした子だったんだと思う。
イイ子を、演じていただけかも知れないけど。
母は病院、父は夜遅くまで仕事、私の面倒を見たのは一階に住む祖母だった。
(因みに祖父は、母が嫁いで来るずっと前に若くして亡くなったから、会ったことはない。遺影写真を見る限り、温厚さが滲み出ている優しそうな祖父だ。)
普段大人しく祖母の言うことを聞いていた私は、ある日珍しくワガママを言ってダダをこねた。
おやつの時間じゃないのに、おやつが食べたいと言った。
4歳児だ、そのくらいのワガママはきっとみんな言う。
「ダメ」と言われても食べたいものは食べたい、そして言った以上後には引けない。
何が何でもおやつが食べたい、私は泣き喚いた。
祖母はおやつをくれなかった。
その代わり、私に罵声を浴びせた。
「可愛くない子供だ」「お前が男の子なら良かったのに」「あの嫁がこんな可愛くない子供を産んだんだ」「お前のことは好きでない!」…
…え。
子供ながらに「ばーちゃんに嫌われているんだな。私はこの人にとって可愛くないんだな。」、解釈出来た。
怖かった。
泣き止むことが出来なかった。
次の瞬間、婆さんは私の小さな頭を片手で掴んだ。
リビングにはガラス板の立派なテーブルがあり、掴まれた頭はテーブルの角に打ち付けられた。
4歳児の頭。
まだ小さい私の頭。
おでこの左上、髪の毛の生え際に、テーブルの角はヒットした。
血が流れた。
痛かった。それ以上に怖かった。
ただ、それ以上に、時間が止まったみたいな不思議な感覚に襲われて、心の中でカチャっと何かが壊れた音がしたような気がした。
こうして文章に書きながら、鮮明に映像と音声まで思い出すことが出来る。
婆さんの手を振りほどいておでこを手で押さえながら一心不乱に階段を駆け上がって二階に逃げた。
ティッシュで押さえた、いっぱい押さえた。
いつ婆さんが二階に上がって来るかと思って恐怖でいっぱいだった。
それと同時にこの傷と血を「お母さんになんて言おう、どうやって隠そう。」…心の中は母に「婆さんにやられた」と気付かれない為には何て言えばいいのかを考えていた。
母は、嫁いでからずっと婆さんにいびられていたから、母を言葉で罵る婆さんを陰から何度も見ていたから、お母さんがまた苛められたら可哀想だと思っていた。
俗に言う「嫁姑の険悪な…」やつ。
結局私は母に「転んでぶつけた」と言った。
血が付いたティッシュがいっぱいゴミ箱に入っていて、タオルにも血が付いていて、しかも頭を転んでぶつけたというのはちょっと不審に思ったかも知れない。
でも母が帰ってきた時には血は止まっていたから、ガーゼを当てて大きなテープを貼ってもらった。
私はお母さんに、本当のことを隠したこと、痛くても痛くないと嘘をついたこと、何となく罪悪感と満足感とどちらも感じていた。
幼いながら「これで良かったでしょ?婆さんにやられたって言ったらお母さん苛められるでしょ?」と自分の中で無理矢理終わらせた。
これが、虐待の始まり。
それから約20年、私のおでこには薄っすら傷跡が残っていた。
今はもう、消えてしまった。
でも、矛盾するけど、あの時母が病院に連れてってくれてれば、心の闇は軽減されてたのかも知れない。
今とは違った自分がいたかも知れない。
それは、分からない。
その後も婆さんからの「虐待」は続いていく。
続く。
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