episode 12. 結婚、そして離婚。
トレフォイル(葉っぱマーク)がお洒落なアディダススリッポン♪♪
履きやすい、お洒落、私は真っ白履いてマス☆
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ブログの自己紹介文にスピード離婚、という言葉を出した。
そしてこの前、婚約破棄について書いた。
その婚約破棄の後のこと。
私は違う所へ引っ越して新たな生活を始めた。
仕事も、自宅近くにした。
この頃精神的に支えてくれたのは、元同僚の2つ歳下の女の子。
パニック障害を理解してくれて一緒に地下鉄に乗ってくれたり、ご飯に行ったり、彼女は本当に優しくて可愛くて、でもスッと一本強い芯が通っているようなステキな女性だった。
今も、大切な頼れる友人だ。
そしてもう1人、2つ歳下の男の子(←旦那さんになり、そして元旦那になる。)だった。
彼は誰からも可愛がられてイジられる「いいヤツ」で、体調悪い時には帰りに送ってくれたり、私の引っ越しの荷物運びも全部やってくれて、優しい人だった。
本当に、優しい人だった。
婚約破棄の一部始終を知っている上で「幸せにします、結婚を前提に付き合って下さい。」と言ってくれた。
DVという怖いものを経験したから、一緒にいて落ち着ける優しさとか思い遣りとか、そういうものを求めていた私は「この人は周りからも慕われる良い人、安心な人、大切にしてくれる。」と思った。
2年付き合った。
でもやっぱりいきなり一緒に暮らすのは怖かったから、2年間は半同棲の生活だった。
今度こそ幸せな結婚をしようと2人で結婚式場巡りや結婚指輪選び、和装写真の前撮り、いろんな所にお出掛けもした。
そして楽しい日々は続き29歳の2月、婚姻届を出して私は妻というモノになった。
同時に私は仕事がどんどん波に乗って忙しくなり、彼は転職をして、お互い顔を合わせて一緒に夕食を取ることは週に2回くらい…だったかな。
(先生が言うには、この頃は私は躁状態に突入していた、らしい。家庭ではなく「仕事」に「異常に」没頭し始めたから。)
それでも休みが合えば2人で行動したし、大きな喧嘩をすることもなかったんだけど。
いつからか私は仕事ばかりするようになり、反対に彼はまるで実家で母の帰りを待つ子供のように何もしなくなった。
こっちは仕事が上手くいって堪らなく楽しいのに、家に帰れば何だ。
「ご飯ナニ?」「洗濯?したことない。」「今日パチンコ行ってたから家のことしてない。」
私達は籍を入れた1年後に挙式と披露宴をする事にしていたから、お互い忙しいけど準備はちゃんと進めようね、と約束していた。
一生に一度、忙しいけど分担決めたんだから準備はする。
よくお嫁さんだけ準備頑張って、男は協力的じゃないって言うけど、私達もそうだった。結局98%私が進めて決めた。
(ブライダルプランナーの経験がある私は全ての勝手が分かってたから、まぁ狡かったのかもしれない。)
準備を進めるうちに、どんどん冷めてく事に気付いてはいた。
ただの言い訳かもしれない、でも時間が経つにつれ、両家の両親が動き始め、招待状が出来上がり、気持ちとは反対に結婚式は近付いてくる。
止められなかった、親にも、会社にも、ゲストにも、申し訳なさだけが募る中で30歳の2月、結婚式を挙げた。
結婚式当日の朝起きたら、見事な冬晴れだった。
でも私の心の中は真っ黒い闇だった。
心が凍ったように、蝋人形のように、メイクをして華やかになるはずの顔は、至って無表情だった。
早く今日が終わりますようにと、思っていた。
ずっと前のブログに書いた通り、こんな状態で結婚式を迎えた花嫁は高砂に座っても尚、仕事をしていた。
契約が取れたか取れてないか、気になって仕方なかった。
仕事。仕事。仕事。
華やかなドレスに身を包み、素敵な階段から新郎と腕を組み降りてくる花嫁はさぞかし綺麗だっただろう。
幸せそうに見えただろう。
まさかお色直しの中座で顧客に電話し、披露宴終わり10分後に上司に電話し、次の日出勤するとは、誰も思ってないだろう。
二次会の後の三次会を花嫁は欠席した。
だって明日は仕事だから。
…そう、私は結婚生活に完全に興味を失っていた。
旦那という存在に興味を失い、冷めた。
家。幸せな家庭。笑顔の絶えない家庭。???。
帰ることが辛かった、家に帰る時間が近付くと発作が起きるようになった。
そこに旦那が待っていると思うと、いつまでも残業していたかった。
お互い喋らなくなり、居なくてもどこへ行ったか尋ねることもせず、冷たい空気だけ流れていた。
旦那は優しくて口下手で不器用な人だったから、そんな私に気付いていても何も言えなかったのかも知れない。
時間だけ過ぎて、私はきっと自ら修復不能な溝を作り、そして自ら体調を崩して、その理由を「結婚生活」にして離婚した。んだと思う。
無理だった。
入籍して1年4ヶ月、披露宴から4ヶ月、30歳の6月。
私はバツイチになった。
離婚届を1人で提出した日、暑くて快晴の昼、開放感に満ち溢れて独り歩く街中はキラキラして見えた。
大通公園の噴水に当たり、遊ぶ子供達を眺めながら、私は多分溢れんばかりの笑みをこぼしていたと思う。
端から見ればまるで「幸せな花嫁」のように。
そして更に仕事に没頭した。
業績はどんどん上がった。
一般的には逆だろう、結婚してこれから頑張ろう!となるんだろう。
一般的とは正反対だったけど、私らしいなと思えた。
そんな日々が楽しかった、仕事が、上司が、大好きだった。
離婚して、アホみたいに仕事して、あぁ!仕事したっ!って達成感。
これが私だよね、私らしいよね!
充実の日々だった。
…この時はこの「私らしいな」が、躁状態だとは知る由もなく。